それぞれの別れ


シリーズ4作目『ほどなく、お別れです 遠くの空へ』を読み終えた。


これまでの作品と同じように、避けられない別れ、“死別”と向き合う人たちの様々な姿が描かれている。
同時に、社会人として成長する主人公が、自分の及ばなさに悩む姿に触れることができ、「働くこと」について考えさせられる場面も多かった。

4作目はコロナ禍後の物語だ。
騒然とした世界で、日常を続けるしかなかったあの頃の空気を思い出す。
きっと、たくさんの別れがあり、思う通りにいかない別れの形もあったはずだ。

葬儀には喪主という役割がある。
喪主には、故人の人生を代表して見送るという責任がのしかかる。
でも多くの場合、気持ちが追いつかないままその役を務めることとなるはずだ。儀式は、残された人の心の準備を十分には待ってくれない。

葬儀には「こうしなければならない」という決まりはないはずだけれど、
いざ自分が喪主になったら、時間も知識も足りないまま常識にとらわれ、自分に合った形を選ぶことは難しいはずだ。

死別は突然やってくるのだから。

突然の別れに対して、喪主にも、その他の残された人たちにも、それぞれの思いが生まれる。
その中で「自分にとって無理のない送り方」を選ぶのは、想像以上に難しい。

私は、葬儀はシンプルでいいと思っている。

残された人の生活はその後も続いていくのだから、お金をかけすぎる必要はないし、心の負担もできるだけ軽くするべきだ。なにより、そこから先の日常を守ることも考えたい。

通夜と葬儀の二日間は、喪主だけでなく親族にとっても長丁場だ。
その長い時間、悲しむ暇もないまま儀式が進んでいくこともあるだろう。

「生活を守るためのシンプルな送り方」がいいと思っていても、思う通りにいかないことは十分ある。あるいは、後から、もっと違う送り方をしたかったのに、と思うこともあるはずだ。

家族だけの一日葬が理想的だと思っている。しかし、そうすると「参列したかったのに」と後から家に来る人が増えるかもしれない。
それでは、弔問のたびに心も生活も揺れ、日常生活がつらくなる気がする。

最近は、弔問を辞退したり、後日小さな“お別れの場”を設ける場合や、オンラインで弔意を受け取る方法など、日常を守るための選択肢が増えているという。

こうしたことを、何でもない日に知っておくことが大切なのかもしれない。
死別とは距離を置いておきたい。常日頃考えていると、縁起が悪い気もする。そうなる前に葬儀について考えることに、躊躇する思いもある。

けれど、突然の別れの中で、慌ただしく決めて後悔しないよう、自分の価値観に合った送り方を選ぶ準備が必要だろうとも思うのだ。もっと身近に葬儀屋を感じられる、そんな暮らしがあってもいいのかもしれない。