読み終えて、呆然とした。読み始める前は上中下巻もあるその分厚さと紹介文に「読み切るのにどれだけ時間がかかるだろうか」、「他にも読みたい本があるから、やめておこうか」「ホラー小説家か、馴染みのないジャンルだな」としり込みしたが、そんな心配は無用だった。
知人からおススメされるまで、全く知らなかった書名と作家名だった。こんな凄い本を知らなかったなんて、自分の読書量はたいしたことないのだなと思い知らされる。もちろん、月々何万冊も出版される本の全容なんて把握するのは困難であることは言うまでもなく、本を読む方だとはいっても、読めない時期はもちろんあったから、知らない本がたくさんあるのは当然なのかもしれない。この本が出版されたあたりは、出産と育児で本を読める状態ではなかった。そのままこの本と出合うことなく、過ぎて行ってしまったかもしれない時間を思うと、おススメしてくれた知人に感謝すべきだなと思うほどの小説だった。
読み始めてから、俄かに仕事が忙しくなり、思うように読む時間が取れなかったときを挟んだが、上中下巻を一週間で読み終えてしまった。
まず驚いたのは、この本とは全く関係のない雑誌で「ボノボ」について読んでいたそのすぐ後、この小説の中でその「ボノボ」の生態に関する記述に再会したことだ。ただの偶然といえばそれまでのことだけれど、偶然にしても出来過ぎたその過程が、物語の中に没入するきっかけになったのは事実である。そしてそのことが、よりゾクゾクする感情を増幅させていった。本との出会いにおいては、奇妙な導きを感じることが多々ある。ただの偶然では済まされないようなそんな出会いを、これまでも何度も体験してきた。
物語は1000年後の日本の話だ。でも、未来というよりどことなく古代の様子を漂わせて物語は始まる。未来の話なのに古さを感じるのはなぜか、その理由が物語を読み進めるにつれて少しずつ明らかになっていく。
途中何度も絶望的な気持ちになる。この先の展開は、恐怖しかないのではないか。もう無理なのではないかという気持ちに何度も陥る。「こんなに絶望的な状況なのに、まだ、上巻の途中」、「中巻が終わっただけ」、「下巻の前半も前半部分だ」となんども立ち止まりたくなる。でも、立ち止まれない。先を読まないことには、この絶望から抜け出せないことは明らかだからだ。
そして、物語は無事に終わる。けれどすぐに、物語は終わっても完全に終わりではないのだと思わされる。「平和の意味とその主体について考えよ」「ここから先は、自分で考え行動するしか道はないのだ」と言われたような気がした。
それにしても、どうなってるの作者の思考回路は。異次元の文才にただただ圧倒されるしかなかった。