厳しく育てられてきたのだという思いがずっとあった。
でもそれは、愛情の上に成り立っている厳しさなのだろうと思ってきた。親は子どもの自分より、物を知っているし長く生きている。親の言うことは間違っていないはずだと信じているところもあった。
親は当然、子どもの自分より常識があるはずだから、反抗心が湧いてもむやみに反抗するのは間違っているのだろうと感じていた。
必要以上の厳しさも、貧しさも、この家に生まれたのだから甘んじて受けるべきなのだと我慢していた。親の言うやってはいけないことは守る義務が自分にはあり、けなされることは子どもなのだから仕方がないのだと、信じていた。
住む家もあり、着るものもあり、毎日の食事もちゃんとある。学校にも当たり前に行かせてもらって、部活もできている。休みの日に遊びに行くことが許されなくても、学校帰りに遊びに行くことは不可能でも、それが我が家の当たり前だった。
大学へも行かせてもらった。その学費が奨学金で生活費は自分のバイト代だとしても、家賃はだしてもらっているのだから、そのことに感謝する子どもでいることが、あるべき私の姿なのだと思っていた。
大人になって自立した今、帰省するたびに聞かされる親の愚痴を受け入れるのに努力を要するときがある。でも、それは間違っていると言いたくなっても、否定するべきではないと言い聞かせていた。親を傷つける子どもにはなるべきではないと思っていた。親不孝な子どもでいたくないと思っていた。
でも、自分が親になってからは、親のような親には絶対なりたくないとも思っている。
私の自己肯定感が低いのも、どこか世間に対して引け目を感じてしまうのも、怒られて、けなされて育ったことが原因の気がしていて、そんな風に子育てはすまいと心に決めていたころがある。
子どもは生まれる場所を選べない。一見恵まれている家庭のように見える子でも、過酷な環境で育っている子どももいる。
そして、その異常さに気付けないまま生活する子どもがいる。
おススメ対象 中学生~大人
読みながら、自分のことを振り返っていた。
自分が親になってから、子どもを育てることの大変さを知った。だから、貧しいながらも大学まで行かせてくれた親に対する感謝の気持ちを強くしてきた。でも、美談で済ませられない現実もあったのかもしれない。
私に見えていなかった現実もあったのではなかろうか。
あるいはその異常さに目をつぶってきた日々があったのかもしれない。
そんなことを考えていた。
私の記憶の中には、親に殴られたことが一度しかない。でも兄弟に聞いてみると、私たちは結構頻繁に殴られていたらしかった。全く覚えていない私は、何をどこに閉じ込めて生きてきたのだろう。
私の中で、何かが捻じ曲げられ美談に仕立ててしまっていた部分があるのかもしれない。見たくないもの、分かりたくないものに蓋をしてきたところがあったのかもしれない。
幸せな家庭。
そんなものあることも知らずに、今日も親を信じて過酷な環境を生き抜いている子どもがいる。